真っ暗な道で牛にぶつかり冷や汗。
2008年3月9日 Puja Guest House in Varanasi
朝5時20分ころに起きた。なんで早起きしたかと言うと、登る朝日と共に沐浴する人々を眺めるため。まだ真っ暗な中、ホテルを出る。
プージャゲストハウスは細い路地をくねくね入り込んだ所にあり、ガートへ出るまでは足場も悪い。外灯も無いし、太陽が昇る前は想像以上に暗く、何も見えないと言ってもいいくらいだった。
ゆっくりと足場を確かめながら進む僕の左足に突然、どんっ、と何かがぶつかった。何度も通ったことのある道だったので、この辺に段差があったかなぁ、と考えたが一瞬にして、牛だっ!と直感した。その場に伏して眠っていた牛の尻か頭か(暗くてどちらかわからない)に僕は蹴りを入れていたのだ。インドの牛は穏やかとはいえ、牛は牛。でかい。さすがに恐ろしくなり、牛を刺激しないようなチョコチョコ走りでその場を駆け抜け、曲がり角でようやく一息ついた。インドに来た中で一番怖かった。
朝焼けに染まるガンガー。
ガートでは登る朝日が夕焼けのように赤く川を染めて、沢山の人が楽しそうに沐浴していた。静かにプージャを行う青年や、談笑しながら体を洗う人びとをぼーっと眺めた。
ひとりのお坊さんらしき人に声を掛けられた。こっちへ来い、と日よけの大きな傘の下に敷かれたむしろの上に座らされた。念のため、「お金はないよ」と言うと、「かまわん、かまわん。」との事だったので、言われるがままにした。
お坊さんと同じように、おでこに赤い紅を塗られ、眉間に米粒を付けられた。お坊さんは続けて言え、と昨日お寺で唱えさせられたのと同じようなお経のような呪文を唱えた。僕もそのお経を真似て唱えた。
お坊さんにたかられた。
お坊さんが言うには「私は毎日シヴァの神様の前でお前とお前の家族の名前を唱える。さぁ、ここに家族と恋人の名前を書きなさい、これでもう安心だ。君たちは強いエナジーで守られることだろう。他にもこんなに沢山の人が名前を書き、母国に帰っていったのだ。」
お坊さんが見せてくれた名簿というかノートにはなるほど沢山の人びとの名前が書いてあったのだが、ん、待てよ、とおかしなことに気付いた。その名前の下に、1,000Rとか2,000Rとか100ドルとか書いてある!
「君もお布施をしなさい、君の好きな額をここに書きなさい」なーんて言いやがる。あほか、そう言うことは先に言えー!またまた変なインド人にひっかかってしまった。
「君は50ドル位だな。」と言うお坊さんを前に、頭に来ていた僕は100Rと書いた。
「なんと言う!シヴァの神様に毎日祈るのだぞ!少なすぎだ。」などとのたまうお坊さん。昨日の一件もあり、とにかく金を節約せねばならんので「日本へ帰れなくなる」と言い頑なに拒んだ。
お坊さんは渋々「わかった、わかった200ルピーでいいよ」という感じのことを言い、人のいい僕は200ルピー払ってしまったが、神様を盾に金をむしり取っているようにしか思えず、不愉快になった。しまいには僕のことを「プアボーイ、プアボーイ」と呼ぶ始末。
部屋に戻り、太宰治の人間失格を読みながら、昼過ぎまで寝た。今日はとにかくのんびり過ごそうと決めていた。昼過ぎに屋上のお気に入りのレストランで昼食。
夕方またプージャを見に出かけると、なんとジャイプルでホテルが一緒だった九産大の学生と出会った。旅の途中での再会というのは、なかなかいいものだ。
夜の10時半。ムンナーが部屋に列車のチケットを持ってきてくれた。夕方5時に彼にTELしてパスポートナンバーを伝えていた。「夜持っていきます」とのことで通話を終了していた。
ムンナーには本当に感謝してもし足りないくらい。ダフ屋のルートでチケットを手に入れるのに半日近くかかったらしい。本当にありがとう。
聖河ガンガーのほとりに4日間。「シャブ」「ハッパ」「チョコ」「ソンナノカンケイネェ」「ナンデヤネン」「ハガケンジ」などと声を掛けてくるインド人たちにもお別れ。明日から旅もいよいよ後半戦だ。
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