こんにちは。もぞ太です。
旅、冒険、自然などをテーマにした本を紹介します。
今回は、辺見庸さんの「もの食う人びと」です。
「食べること」は「生きること」
日本に生活する私にとって、「食べること」とは、楽しみであり、娯楽であり、トレーニングであり、ご褒美であり、ストレス解消である。
しかし、世界の多くの人びとにとって、「食べること」は「生きること」なのだ。
毎日、テレビや新聞などの俯瞰した情報ばかり見聞きしている私にとって、そこに生きる人びと一人ひとりの現在、過去、未来に心を寄せる辺見さんの旅のは、そこには人びとの心があり、生活があるのだということを改めて教えてくれました。
決して光を浴びることのない、今後語られることの無い歴史の真実においても、そこにはその当事者が存在し、背負い生きてきた人びとがいるのだということを、教えてくれました。
地べたを這いずり回り、現地のものを食べまくり、飲みまくる。
「食」のフィルターにろ過されて語られる、人びとの「生」は、濃く生々しく、美しいものなのだと、教えてくれました。
辺見さんの「食」の旅から30年近く経った今、当時よりさらに飽食の日本に生きる私。
本書を読み返し、まずは、毎日のご飯に感謝しようと思うのでした。
辺見庸の言葉
それを食べた過去に苦しむ人びとと、まちがえて食べてしまった過去を持つこの老人は、じつに不可思議な糸で結ばれているのだった。そのような友の交わりも、この世にはある。(「もの食う人びと/ミンダナオ島の食の悲劇」より抜粋)
よかった、よかった、ケセラセラだね、と私は皆の手を握った。中略。私の父親の世代に当たる、たくさんの日本の兵士の体に泣く泣く触れざるをえなかった手、そして五十年後に包丁でその記憶のすべてを殺そうとした、温かくてとてもやさしい手を、泣きながら握りしめた。(「もの食う人びと/ある日あの記憶を殺しに」より抜粋)
行く先々に私は世界の中心を見た。そこには神々のような人々が住まい悪魔のような人々が暮らしており、それぞれに例外なくものを食っているのだった。(「もの食う人びと/文庫版のあとがき」より抜粋)
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